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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和46年(う)154号 判決

被告人 天久盛正

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金八、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、一日を金一、〇〇〇円に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、福岡高等検察庁宮崎支部検察官検事荒井三夫提出にかかる鹿児島区検察庁検察官事務取扱検事高木不二雄作成の控訴趣意書に記載のとおりであるからこれを引用し、これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

所論は要するに、昭和四二年法律第一二七号船舶の油による海水の汚濁の防止に関する法律(以下この法律を旧海水油汚濁防止法と称する)三六条、五条一項一号の罰則の適用については、過失も処罰する趣旨に解すべきものであるところ、これと異なり、原審は右罰則には過失を処罰する特別の規定を欠くので、被告人の過失に基づく本件重油を流出させた行為は犯罪を構成しないとして、被告人に対し無罪の判決を言い渡したのであるが、右判決には法令の解釈適用を誤つた違法があり、この誤りは判決に影響をおよぼすことが明らかであり、破棄を免れ難い、というのである。

しかして、本件公訴事実の概要は、被告人は貨客船おとひめ丸(総屯数二、九九〇屯八〇)に二等機関士として乗り組み、同船の機関運転に関する業務のほか同船使用の燃料をとう載するについて、油そう船の乗組員を指揮し、各燃料タンクなどに設置されたバルブの開閉を行ない、所定のタンクに燃料をとう載する作業に従事していた者であるが、昭和四六年四月一七日鹿児島港二区六号岸壁に繋留中、B重油を右おとひめ丸の六番左右両舷タンクにとう載しようとした時、取り入れ口のバルブを開いたのみで中間バルブと八番左舷タンクの取り入れ口バルブを閉鎖しないままB重油のとう載を開始した過失により、B重油を八番左舷タンクに流入させかつ同タンクの空気抜きからB重油約一八〇リツトルを甲板上に噴出させ、そのうち約三六リツトルを甲板排出口から船外に流出させて、本邦の海岸の基線から五〇海里以内の海域に排出させた、というのであり、これに対し原審は旧海水油汚濁防止法三六条、五条一項一号については過失を処罰する旨の特別の規定は存しないとの理由で被告人に無罪の判決を言い渡したことが明らかである。そこで、右罰則の規定が構成要件として果して過失をも包含する趣旨に解釈すべきであるか否かを検討することとするが、結論よりさきに言えば、過失行為をも処罰する趣旨に解するのを相当とする。以下その検討の跡を詳説することとする。

(一)  旧海水油汚濁防止法五条は「船舶は、次の海域において油を排出してはならない」と規定し、この禁止の対象となつている行為は「油の排出」である。しかして、この禁止規定を受けた罰則同法三六条は「五条一項……………の規定の違反となるような行為をした者は、三月以下の懲役又は一〇万円以下の罰金に処する。」旨が規定されているが、右に規定する「油の排出」が如何なる態様の行為であるかについてこれを明確にする規定は同法中何処にも見出し得ない。しかるに同法は昭和四二年八月一日法律第一二七号をもつて公布されたものであるが、同法制定の趣旨について、未だその法律案として国会で審議されていた段階において、大橋武夫運輸大臣の説明(同年五月三一日衆議院産業公害対策特別委員会議録第七号)によると、同法は一九五四年の油による海水の汚濁の防止のための国際条約を施行するため、これに先だつて国内法として制定されるものである趣旨が説明されている。しかして、同年一〇月六日公布された一九五四年の油による海水の汚濁の防止のための国際条約(以下この条約を海水油汚濁防止条約と称する)一条によると、『「排出」とは、油又は油性混合物についていうときは、原因のいかんを問わず、すべての排棄又は流出をいう。』と規定している。海水油汚濁防止条約における排棄と流出については、規定の前後関係や同条約の英文による条約文などとの関係から排棄は故意ある行為を指し、流出は過失に基づく行為を指称するものと解される。さらに海水油汚濁防止条約六条一項には、同条約の適用される船舶の所属する領域においては、油又は油性混合物の排出の禁止に違反する行為を法令をもつて罰すべきことを予定しており、その他海水油汚濁防止条約と旧海水油汚濁防止法の内容を仔細に対比考察すると両者は明らかに関連し、後者は前者を公布施行するための国内法として所要の事項を法律として制定、公布、施行されたものであることを看取することができる。ところで、憲法九八条二項は、日本国が締結した条約は、これを誠実に遵守することを必要とする旨規定している。このことは国の締結した条約が国政その他で規範として最大限に尊重され、かついやしくもこれにもとることのないよう誠実義務を課したものと解すべく、このことから条約に基づく国内法が制定されたときは、その解釈、適用に当つては、これに対し基本とされ公布された条約の内容が解釈上の基準となるものといい得るところであり、いわば、条約とこれに基づく法律とが一体となつて国民生活を規律し拘束するものといわなければならない。このような見地から旧海水油汚濁防止法の「油の排出」の表現の解釈に当つては、海水油汚濁防止条約の定めるところに従い「排棄」と「流出」を包含するものというべく、旧海水油汚濁防止法の定める「油の排出」行為にはただに故意ある行為である排棄ばかりでなく、過失による行為たる流出をも包含するものと解し得るところである。

(二)  右のように解したからと言つて、罪刑法定主義からの要請に反し法律を不当に拡大して解釈したことにはならないであろう。すなわち、海水油汚濁防止条約と旧海水油汚濁防止法とは、国内的には法律の方が僅かに二個月余り早く公布され、条約が遅れて公布されてはいるが、右法律は前記のように右条約の批准、国内法化のためのものであつた訳であるから、論理的には右条約の方が先行していたものである。一般的に、条約と法律とは法体系を異にするが、条約が公布施行された後は法律と同様の効力をもつて国民生活を規律し拘束するものである点にかんがみると、国内法的には、条約と法律とが同一対象について規律している場合は、規定の内容において矛盾やそごするところがあつてはならないばかりでなく、さらに前記のように、海水油汚濁防止条約を国内法化するための旧海水油汚濁防止法である両者の関係が加わるのであり、これらのことから言つても、他方(条約)が一方(法律)を規定の解釈上補充する作用を営んだとしても、規律すべき対象を不当に拡大したことにはならないものといわなければならない。

(三)  行政取締法規の罰則についても刑法三八条一項が適用されることはいうまでもない。しかし、罰則の規定の表現上「過失」なる語が用いられていなくとも、その取り締る事柄の本質にかんがみ、故意の場合ばかりでなく、過失による行為をも包含する趣旨に解すべき場合のあることは、最高裁判所昭和二八年三月五日第一小法廷決定や同昭和三七年五月四日第二小法廷判決によつてつとに明らかにされているところである。しかして、旧海水油汚濁防止法による取り締りの対象となつている油又は油性混合物をみるに、同法二条には、「油」とは、原油、重油(運輸省令で定める重デイーゼル油を含む……。)および潤滑油ならびにこれらの油の含有量が一万立方センチメートルにつき一立方センチメートル以上である油性混合物………をいう、と定められており、これらの物質を輸送などのため船舶にとう載する場合、またはとう載していた場合、船舶の安全や積荷の損傷を防止し、人命を救助するなど保安の必要上排棄する場合以外に、ことさら意図をもつて海上に排棄するようなことは先ずあり得ない事態といつてよいであろう。右の保安の必要上排棄する場合に関しては免責条項として海水油汚濁防止条約(四条)にも旧海水油汚濁防止法(七条)にも、ともに特別の規定が設けられている。しかも、旧海水油汚濁防止法の制定された昭和四二年八月一日頃においては、既に、産業による公害の防止として海水ないし海上の汚濁の禁止ならびに予防については、国民の間に高い関心をもつてその必要性が強く意識されていたのであり、その取り締りの必要性は極めて高いものがあつたことを指摘しなければならない。このような油の排出行為の形態が故意行為よりも過失に基づく行為が圧倒的に多いと考えられ、かつ過失による行為についても取り締りの必要性が高いと考えられていた事情は、まさに前掲判例にいわゆる事柄の本質に関するものというべきであろう。従つて、旧海水油汚濁防止法五条による禁止の対象となつている行為の形態について過失によるとの文言上の表現が用いられていなくとも、論理的には過失に基づく流出行為を包含するものと解し得るのである。

(四)  旧海水油汚濁防止法の法案審議に当つた大橋運輸大臣の国会(衆議院)答弁において、「油の排出」の法概念について、故意による場合は勿論、過失に基づく場合も違反となる趣旨である旨を答弁しており、かような趣旨を含めて法律案が国会において可決され、法律として成立した立法経過に徴し、立法者の意思としては、まさに、明らかに過失による行為をも包含させていたものと解し得るところである。

以上、(一)乃至(四)において検討したところにより、旧海水油汚濁防止法三六条、五条一項一号によつて処罰の対象とされている油の排出行為には、過失に基づく油の流出行為を包含するものと解するのを相当とする。しかるときは、これと異なる法解釈に立つ原判決には法律の解釈適用の誤りがあり、この誤りは判決に影響をおよぼすことが明らかであるというべく、論旨は理由がある。

よつて、本件控訴は理由があるので、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄するべく、なお記録ならびに当審において取り調べた証拠により直ちに判決し得るものと認めるので、同法四〇〇条但書によりさらに判決することとする。

(罪となるべき事実)

被告人は、鹿児島港、那覇港間の定期貨客船おとひめ丸(総屯数二、九九〇屯八〇)に二等機関士として乗り組み、同船の機関の運転に関する業務のほか、同船で使用する燃料をとう載する際は、油そう船の乗組員を指揮し、おとひめ丸に備えつけの各燃料タンクに設置されたバルブの開閉を行ない、所定のタンクに燃料をとう載する作業にも従事していた者であるが、昭和四六年四月一七日午前一〇時頃、鹿児島市城南町先鹿児島港第二区六号岸壁に繋留中の同船内において、法定の除外事由がないのに、油そう船第八共進丸から、おとひめ丸で使用するB重油を同船六番左右両舷タンクにとう載しようとした際、このような場合同船備えつけの燃料タンクは燃料積込口からパイプによつて五個のタンクが連結されているので、六番左右両舷のタンクの取入口および中間の各バルブを開き、八番左右両舷のタンクならびに五番タンクの取入口バルブを閉鎖したうえ、B重油を六番左右両舷のタンクにとう載すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、六番左右両舷タンクの取入口バルブを開いたのみで、中間バルブおよび八番左舷タンク取入口バルブを閉鎖しないままB重油のとう載を行なつた過失により、同日午前一〇時三〇分頃八番左舷タンクに流入した右重油のうち約一八〇リツトルを同タンク空気抜きより甲板上に噴出させ、その余勢によりそのうち約三六リツトルのB重油を同船甲板排出口から海上に流出させ、もつて油を本邦の海岸の基線から五〇海里以内の海域に排出させたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の行為は、海洋汚染防止法附則八条、船舶の油による海水の汚濁の防止に関する法律三六条、五条一項一号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、所定金額の範囲内において被告人を罰金八〇〇〇円に処し、刑法一八条により右罰金を完納することができないときは一日を金一〇〇〇円に換算した期間被告人を労役場に留置することとする。

よつて主文のとおり判決する。

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